Observe

お金、モノ、人間の心とカラダ、自分自身、etc. 森羅万象を見つめる俯瞰的「観察日記」です。

ぼく〜ぅがぼくぅであるために

僕が僕であるために


かち〜ぃつづけなきゃ ならなぃ  というわけではなく


怒りをコントロールしなければならない


怒っていては何もいいことなんてない


怒りの念を根源から0にすることはできない


だからコントロールするのだ


怒りという名の悪魔よされ


僕から離れろ


お前が憑りつくと 僕が僕でなくなる




怒ると間違った方向へ進んでしまう


聞こえは悪いが 大人のシカト


小学生とかがおこなうシカトではなく 大人のシカト


聞こえたり見えたりしているのにシカトするのではなく


僕の中からその存在そのものを消す


怒りの根源そのものをdeleteする 究極のシカト


僕が僕であるために




何も自分の欲望を押し付けたり 自分の手で制裁を与えなくても


心が清くない人間は それそれなりの罰が自然に下る


それこそが究極の制裁なのだ


自分が望んでいなくとも 勝手に相手に罰が下る


例えば公共の場でマナーの悪い人


そういう人は基本的にどこいっても自分勝手でマナーの悪い人だろうから


いい人間関係なんて送れるはずがない 友達も少ないだろう それは究極の罰だ


例えばイライラして後ろから車を煽る人 スムーズな進路変更を妨害する人


もし運転手が僕ではなくて危険人物だったら


同じことを続けていれば 事故にあったり いつの日かボコボコにされるだろう


それは究極の罰だ


この世の中そういうものだ




悪魔だとかシカトだとか罰だとか制裁だとか


宗教っぽくちょっと危ない感じの文章になってしまった




ようするに 


僕が僕であらんとさせる人間が近くにいたら


怒りの念を抱く前に その人から離れることだ


そもそも近寄らなければいい


しかし大人なので


僕と相手の問題だけではなく 僕と相手をとりまくまわり全体に影響を与えてしまう場合は


その時だけ最小限だけ近づく


そしてすぐ離れる


僕が心が穏やかな僕であるために