数年前の僕だったら、怒り狂っちゃって必要のない言葉も撒き散らし取り乱してしまっていたであろう、そんな時、
冷静に、必要なことだけを物申せる振る舞いができるようになってきた。
当然、まだまだ完璧にはこなせていませんが、
このほんの少しのステップアップが、
僕にとってはとてつもない成長であると言えるのです。
怒りの発生を根絶やすことはできません。
怒りが沸いてしまったとき、その怒りをいかにコントロールできるかが、仏陀の教えです。
この不動産業をやっていますと、
巨額な利権が絡んだりしますから、
まぁいろいろな「人間の醜悪な部分」に遭遇するものです。
それは裏を返すと、
数々の修業の場を与えられているのだと、そう思うわけです。
最近の僕のコントロール方法は、
「感情に身を任せて何かを物申したいとき、果たしてその発言は、必要であるか、必要でないか」
これを問います。
怒りを感じてしまったとき、一拍置いて、「必要か必要でないか」を問います。
つまり、「自分のいま感じている感情を、いま伝える必要が有るか無いか」を問うのです。
これを実行する秘訣は、とりあえず、「一拍、しゃべるのを我慢すること」です。
我慢している瞬間に、自分に問いかけます。今しゃべろうとしたことは、必要なことか否か。
僕的にはこのやり方が自分に合っていて、日々、意識しています。
人間の怒りの仕組みは、
「怒る」→「脳がドーパミン(快楽物質)放出」→「怒ることが快楽なのだと、脳が認識する」→「快楽を求めて、怒りっぽくなる」→「この怒りの快楽は脳の錯覚なので、実際には身体や心にダメージを被る」→「でもやはり怒りは快楽であると脳が汚染されている為、怒りやすくなる」→「これの繰り返し」
これが怒りの負のスパイラル。
相手が確かに悪いことをして、それに対して怒り狂って詰め寄って喚き散らして成敗してやった!って一瞬スッキリしても、めちゃくちゃ胃が痛む、、、
僕だけじゃなくて、多くの人が生きていて何度か経験したことあるかと思います。
あれ、ちょっと言い過ぎたかな、、、って後で反省しているときに胸が痛くなったりとか、、、
得てして、感情に任せ、自己満足な感じで必要のないことを言ってしまったりすることが多いのです。
そこがポイントです。
入口として怒りが沸いてしまったとしても、なるべく出口を封鎖する。
怒り狂っているときに、いかに出口を封鎖できるか。
これがポイント。
そして、怒っても何も良いこと無いのだと自分で認識し、怒りによるドーパミンを放出させないこと。
日々、修行あるのみ。