Observe

お金、モノ、人間の心とカラダ、自分自身、etc. 森羅万象を見つめる俯瞰的「観察日記」です。

またもやエポニーヌに泣かされました。

昼間は行田市までドライブ。

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夜は人生で2度目の鑑賞、「映画 レ・ミゼラブル(2012年公開)」

 

1度目と同様、またしても健気なエポニーヌに泣かされました。

 

いつも雨は花を育てるわ

 

エポニーヌはずっとずっとずっと心が雨に打たれていて、

 

最後の最後、愛しきマリウスの傍で息を引き取るその瞬間、

 

可憐な「花」になったのです。

 

そして「花」になっただけでなく、身を引いたエポニーヌの涙は「雨」にもなり、

 

マリウスとコゼットに「花」を咲かせたのです。

 

勝手ながら僕はそのように捉えて解釈しています。

 

 

エポニーヌの健気で慈悲に溢れるその言動、その生き様、

 

なんて美しいのでしょう。

 

僕は涙を堪えることができません。

鼻水も堪えることができません笑

 

今こうやってブログを書いている際も、思い出すと泣けてきます。

 

エポニーヌを演じる「サマンサ・バークス」の演技が素晴らしく、

ナイスキャスティングです。

 

何度観ても、いい映画ですね。

 

 

仏教をちらっと勉強したうえでの僕の持論。

 

「愛」は一方通行であり、苦しみの種となる。

愛とは異なり、「慈悲」は苦しみから解放される種となる。 

 

僕は、できることなら苦しみたくありません。

ですので僕は、大切な人に対し、

「愛する心」ではなく、

「慈悲の心」を持って接しよう。

そう思って、生きています。

 

「愛」する心、それは一方通行なあなたの「エゴ」。

強い自我を相手に押し付けると、あなたの意思に反して相手は離れ、

結果、自分が苦しくなる。

 

「慈悲」の心、それは思いやり。

エゴ(強い自我)を押し付けるのではなく、相手の立場になり、相手の幸せを考え、

思いやりを注ぐ。相手の幸せが、自分にとっての幸せなのである。

 

そう、

エポニーヌは僕にとって、「愛」ではなく、「慈悲」の象徴なのです。

だから僕はエポニーヌに共感し、涙を流し、心が洗われるのだと、

そのように思うのであります。