Observe

お金、モノ、人間の心とカラダ、自分自身、etc. 森羅万象を見つめる俯瞰的「観察日記」です。

「逃げる」と「執着」

「逃げる」って言葉  嫌いじゃない


「逃げる」って言葉  「無責任」「弱い」「芯が無い」ってイメージあるけど 


決してそれだけじゃない


「嫌なことや苦しいことや面倒なことから遠ざかる」ってのは 


悪い意味ばかりではなく いい意味もある


「匙を投げる」的な「逃げる」もあれば


「執着しない」的な「逃げる」もある


この「執着しない」的な「逃げる」は とても賢いことだと思う







「争う」よりも「争わない」ことのほうが賢いときもある


「自分の欲望」に「執着」し


その「欲望」が満たされないと 人は「怒る」


浮気とかもそうですよね


浮気されたくないから 浮気されたら「怒る」んです


浮気されたくない っていうのは 自分の勝手わがままな「欲望」なんです


だってそのお相手さんは浮気したかったんだからしたんですよ


そのお相手さんは浮気したほうが自分にとって幸せと判断したわけです


あなたを傷つけるということよりも 浮気して自分が満足するほうを選んだわけですよね


それをされて「嫌だ」と感じるということは 


自分の「欲望」をお相手にぶつけているだけであって 


お相手の「ホントの幸せ」を思いやれていないとも言えるんですよね


だからこう考えることもできる


あなたが浮気されたそのお相手のことをホントに好きで「幸せになって欲しい」と思っているのであれば


浮気されても「怒らず」 


「どうぞその浮気相手と一緒になって幸せになって下さい 私は身をひきます」


といって「執着心」から「逃げる」ことは 「賢い」ことと捉えることもできるんです


少なくも 浮気をされたくないと思っているあなたに対し そのお相手はあなたの思いを顧みず


浮気という行為をもってあなたの心を傷付け苦しめた


そのように自分を苦しめるような人に「執着」して関係を続けたとしても 将来あなたに「幸せ」は待っていますか?


まぁ 個人の幸せは 人それぞれです


自分を傷付けるような相手であっても その相手と一緒にいることが幸せというのなら ずっと一緒にいるのも正しい選択です


でもその道を選んだのなら 次また浮気されても もう「怒らない」ことですね


苦しむ道を選んだのは自分なのですから。。。    ちょっと極論ですけどね






「執着」の一つとして恋愛をあげてみましたが


その他いろいろ 「自分の欲望」に「執着」していると「怒ってしまう」わけです


「怒る」と人は快楽物質であるドーパミンがでる


ドーパミンは快楽物質だから 人は「怒る」とスカっとする


タバコや麻薬と同じ スカっとするから また次の快楽を求めて 「怒り」やすくなる


しかし 「怒って」スカっとしたそのあと 心が痛くなったりしませんか?


。。。ちなみに浮気も「欲望」の一種


前述の「怒る」という言葉を「浮気」に変えて読んでみて下さい


恐ろしいですね。。。 癖になっちゃうってことですね(笑) やったあと反省するってのも似てますね(笑) 








この人と争ったって何の利益にもならない


この人と争うエネルギーがあるなら もっと他のことにエネルギーを注ごう


だからこの人とは争わず「逃げる」 


つまり「怒る」という「執着」を「捨てる」


これは「賢い選択」だと思うんです 


嫌いな人がいたら その人との接触を避けて「逃げる」


これも「賢い選択」だと思います







朝令暮改」 まわりは振り回されてストレスになるかもしれないけど


自分が定めた方針や道や判断が 正しくないと気付いたとき


「修正」するのは「逃げる」とも言えるけど 「賢い選択」とも言えるんだ


そこに醜く「執着」するよりも 「逃げる」方が賢いときがある


「執着心」が強いと 「逃げる賢さ」を見失う







頭柔らかく 心柔らかく 執着心を一度捨ててみる


身体と同じ


頭も心も身体も柔らかい方が


生きる上で役にたつ