エピメニデスのパラドックスというものを知りました。
地中海に浮かぶクレタ島に生まれたエピメニデスは、
「全てのクレタ人は嘘つきだ」と言った。
嘘つきであるクレタ人が、自分は嘘つきだと言っているのだから、結果としてクレタ人は正直者ということになる。
しかし、正直者であるクレタ人が、自分は嘘つきだと言っているのだから、結果としてクレタ人は嘘つきだということになる。
しかし、嘘つきであるクレタ人が、自分は嘘つきだと言っているのだから、結果としてクレタ人は正直者ということになる。これの繰り返し・・・
論理的に分析をすると、堂々巡りになる。
堂々巡り。先日読了した、ドグラ・マグラの世界ですね。
これは、あまり考え過ぎない方が良いですね。
考え過ぎると、矛盾の迷路に嵌り、頭がおかしくなります。
世の中の答え(ゴール)は全て、「解釈次第」ということになるのでしょうか。
法律にも似たような現象が起きるので、各立場、各弁護士において法律の解釈が異なるから、法律を持ってしてでも決着がつかず、
最終的に裁判官が判決を下す。
となると、法律は裁判官の解釈(判例)が答えなのか、なんてことも付随して考えられます。
さらに、世の中が全て1+1=2のように絶対的な答えのみで成り立っていたら、どんな世の中になっていたのだろうか。
なんてことも考えると、いよいよややこしくなってきますし、そんなことどうでもよくなってきます。
やめよう、こんなこと考えるのは。
明日の交渉事のことを考えるのが、僕がいま考えるべきことなのだ。
僕たちはなぜ生まれてきたのか? なんの為に生まれてきたのか? の答えって、
精神学的な哲学的ないろいろな思考があると思うんですけど、
その答えって、なんの為でも無く、
「精子と卵子が受精したから」、が答えであり、考える必要は無く、
どうせ考えるんだったら、「どう生きるか?」ですよね。
それと同じことです。