Observe

お金、モノ、人間の心とカラダ、自分自身、etc. 森羅万象を見つめる俯瞰的「観察日記」です。

希望

希望


希望とは

辞書では

1 あることの実現をのぞみ願うこと また、その願い

2 将来に対する期待 また、明るい見通し


そしてギリシャ神話では

人類の最初の女性であるパンドラが好奇心からパンドラの箱を開けてしまい

あらゆる悪いものが溢れ出た時に、最後に箱の底に残ったのが「希望」だったとされる

また 正確には、パンドラの箱に最後に残ったのは「未来を全て分かってしまう災い(前兆)」であり

それが解き放たれなかったことから、『希望が残った』としばしば表現される


ということだそうです



将来どうなるかわからないから「可能性」というものがあり

そして「可能性」は無限にあり

その「可能性」に「良い期待」すなわち「希望」を抱く事は全人類公平に与えられた「感情」であり

だからこそ「生きる」ことができるのではないでしょうか

ただ難しいのは窮地に追いやられた際

「希望」と「絶望」は紙一重にあるという現実



希望を失った際 死を選択する人もいると思う

希望を失うということは「良い期待」をすることができない状態だとすると

根拠が無くとも「良い期待」を抱けば「希望」は残っているということになるのでしょうか

だとしたら

まず初めに「絶望」が外的要素が原因になるのだとしたら

「絶望」を「選択(認識)」するのは内的要素にある

いわば自分の「意思」が「絶望」か「希望」を決定付けることになる

この考えからすると

最終的には「意思」がリーサルウェポンとなる


「希望」を抱く事に疲れることもある

外的要素や過去の生活やプライドが疲れさせてしまうのかも知れない

どうしても「希望」を抱く事ができない場合だってある


「義務」は自分の意思では逃れられないが

「権利」は使うか使わないかを自分で選択できる

「権利」は行使しなければ効力が無い

「希望」を抱く事は誰もがもっている権利


もっている「権利」を使うか使わないかは最終的にはやはり自分の「意思」が決定する

人生の根底には「意思」が存在する

「意思」が無い人は  自分の「意思」で自分の「意思」を持たないことを選択している

だから「意思」が無い人なんていない

だから「絶望感」に包まれていても

自分の「意思」によって「希望」を抱く事ができる



仕事帰りの電車の中でこんなこと考えてる僕って変ですが・・・



僕は神ではないし偉くも無い

宇宙目線から見たら顕微鏡を使っても見えないくらいの存在

金持ちでも無い

だけど

同じ目標に向かって真面目に働いている仲間たちで

お金が無くて困っている人を見ていると

とっても胸が痛い

返す言葉が見つからない

ストレートに給料が安いって言ってる人には正直何の感情も抱かないけど

お金が無くても給料がどうのこうのと文句を言わず真面目に頑張っている人を見ていると

なんとかしてあげたいと思う

でも返す言葉が無い


僕ができることはお金をあげるとか貸すとかそういう問題じゃない

「希望」を抱かせてあげること

これが僕にできること

だからこそ返す言葉がないんだ


やっぱり

喜びや幸せは独りで味わうより皆で味わう方がより満たされるし潤う


では「希望」を与えるには僕はどうしたら良いか


まずは自分自身が「希望」を持つことだ

大きく言えば人生を楽しむことだ


楽しむ為には壁を乗り越えていく必要がある

だから越えられそうも無い壁に挑むことは楽しい


いま僕にできること


いや 僕がやらなければならないこと


それは壁を乗り越えること


また明日からが楽しみです