Observe

お金、モノ、人間の心とカラダ、自分自身、etc. 森羅万象を見つめる俯瞰的「観察日記」です。

初めてミュージカルを観た

僕ってとても残念な性格の持ち主で


他人様から「この本読んだほうがいいよ」とか「これ観たほうがいいよ」とか薦められても


めったに興味を抱かない。。。


こういうの あまのじゃく っていうんですかね。。。自分で自分がとても残念です





そんななか


生まれてこの方 一度もミュージカルってものを観たことない僕に ある人が薦めてくれました


ミュージカル「ギフト 〜命からの贈り物〜」


というのも 薦めてくれたある人ってのは僕の中学同級生で このミュージカルのプロデユーサー兼主演です


ちなみに彼女はシングルマザーで3児の母&会社経営者っていうツワモノです


そんな彼女が手掛けた作品であれば


いくらあまのじゃくな僕でも興味が湧きます(笑)





さて このミュージカル「ギフト」



子供は夢を持てず 大人は希望を持てない
でも 誰にでもあったはずの
自分だけの「夢や希望の種」をもう一度輝かせたい
大切な人が夢と希望をなくしたとき
あなたなら なんと声を掛けますか?


といったストーリーです




今年に入ってから 

希望よりも現実的な今 言い換えると 大局よりも小局 に囚われてしまっている僕にとっては ナイスタイミングな栄養素でした




誰かを本気で心配したり応援したいとき 


体は自然と「ガンバレ」という言葉を発する


でも「ガンバレ」はフェイスブックの「いいね」に似てて


とても抽象的で気軽に発することができる使いやすい言葉でもある


そこが落とし穴で 本気で「ガンバレ」と声をかけても 受け手側には「所詮他人ごと」のような捉え方もされてしまう


でも 本気で誰かを応援したいときのふさわしい言葉は やっぱり「ガンバレ」しかない




人間って 誰かに理解してもらえると心が潤う生き物 誰かに共鳴してされて生きる生き物


だからこそ 誰かが頑張っている姿に共鳴し 勇気をもらえたりする


何かに頑張っている姿が 元気をなくした誰かに対し 無言の「ガンバレ」を伝えている 


そんな共鳴反応が自分の気付かないところでおきていてもおかしくない


誰かに「ガンバレ」って言葉を掛ける際 自分も何かに頑張っている姿をプラスすると より大きな共鳴反応が生まれるんじゃないかな




子供が夢を持てない。。。


そりゃ 大人が夢や希望を持っていなければ


子供が夢を持てるわけがない そこに共鳴反応はおきない


夢や希望を持つことは 大人の責任でもあり


夢や希望を応援することも 大人の責任である


僕にはまだ子供はいないけど


もしも子供ができたなら


親としてのエゴは押し付けず 本人の人生を尊重して応援していきたいな


クレイジーな未来予想図を 大人になって実現し 世界を変えたって人もいるんだからね


もちろん親である自分も 夢や希望を持ちながら。。。




と 考えさせられたミュージカルでした







そういえば今年のクリスマスは三連休で世間は楽しそうですね


僕は何も予定が無いので


サンタクロースのバイトができそうです