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お金、モノ、人間の心とカラダ、自分自身、etc. 森羅万象を見つめる俯瞰的「観察日記」です。

悲劇のヒロイン さようなら

また一人去っていきました


彼はどうやら悲劇のヒロインの役が心地よいのでしょう


今まで何人か去っていきましたが


今回はちょっと違います


「逃げ」というワードで統一できる点では


失礼な去り方と言う意味で変わりませんが・・・





変わろうとする努力が一切感じられませんでした


このまま変わらないままで過ごしていくのかと考えると


寂しさでいっぱいです


本人はこのまま変わらないでいいと思ってるんでしょうか





できないと言ったらハイそこまで


そのままのレベルで時を過ごしていくんでしょう


自分の中ではそのレベルが高いと思っているんでしょうか


受動態のままで過ごしていくのかと考えると


残念な気持ちでいっぱいです





良く 私はそもそもこういう性格なんです って言って物事を終わらす人がいます


そもそも性格ってなんですか


自分という性格を造る要素っていうのは


親なんですかね 過去に出会った他人達なんですかね


まぁ両方だと思いますが


親も含めた自分以外の他人から受ける影響という材料 を利用して作り上げたもの


それがその人間本人の性格だと思う


その材料っていうのは


思想であり哲学であり すなわちものの考え方一つ


血液よりも


ものの考え方のほうが影響力が大きいと思う


絶対王政の下では


考え方さえも支配される


ニュートンやガリレオも その時代に変人扱いされてしまったのと同じ


小さい頃は世界が狭いので最も親の影響を受け易い


顔や声などの外観に関することは血液だと思うが


しゃべり方や仕草や身のこなしかたや物事の価値観が似るってことは


血液ではなく


親が王様の 絶対王政の配下にいるからだと思う


料理の味に関東風や関西風があり


その味が正解だと思うってことは


その味を王様が作っているからだ


関東のある男はその味が正解だと思っていながらも


結婚した妻が関西のひとであればおのずとその王国では関西風が正解になり


その家庭=王国に生まれた子供は関西風が正解になる


その現象と性格の精製という現象は同じだと思う





社会に出るってことは何だ 世間に目を向けるってなんだ


それはいままでそれが全てだった絶対王政の支配下から抜け出す事だ


いわば革命だ


人間の成長には革命=変化が必要なんだ


外にでて様々な発見をして吸収していく


それが社会だと思う





そもそも性格というのは他人に作ってもらうものでは無く


自分の手で作り上げていくものだと思う


皆 同じ脳を持っているわけだし


逆を言うと


人間 いくつになっても性格は変えられるということだ


自分の力でいくらでも変えられる


だから僕はこういう性格だからなんて思わないほうがいい





受動態スタンスであればあるほど


自分の手で作り上げていく総数が 能動態の人よりも少ないのではないでしょうか


普段テンションが低い人が 嬉しい事があってテンションがあがって明るい感じの人間になる


覚醒剤を利用すればテンションがあがる


これもいわゆる一つの性格の変化と言えるのではないでしょうか 


だから僕は


受動態人間=悲劇のヒロイン だと思う


僕がここで言う悲劇のヒロインっていうのは


あぁ この人は自分のことを何もわかってくれてない・・・


とか思ってしまう人のことです


まさに悲劇のヒロインです 


甘いだけです


あなたのことなんて誰もわかりません


だってあなた以外の人は全て他人なんですから


親も他人です


うちの子に限って とか言ってしまう過保護な親は話しになりませんが


自分の親はわかってくれるってのも勘違いだと思う


なぜなら


悲劇のヒロイン=受動態の人間=絶対王政に従ってしまう人


王様からしたら


従ってしまう人間はとても操り易いし可愛いんです


すなわち そういう人からみる親ってのは


自分が操られて最も気持ちいい存在だと思うんです


単に気持ち良さ求めてしまってるってことだけです


最も怖いのは


その王様が無条件でかわいがっちゃうってことです


無条件ってのが怖いんです


無条件ってのは


支配下にあたる人間の気持ちを解っていようがいまいがってことです


気持ちを解ってくれていないのにかわいがっちゃうってのが怖いんです


それに慣れてしまうと外界で暮らしていけない


まわりが自分の気持ちを解ってくれない という当たり前のことに


気付かなくなってしまうから





暑かったり寒かったりする厳しい外界が嫌だから


おうちに帰ってヌクヌクしてるだけ


一歩も前に進めません







何の為に 言葉 があるのでしょうか


他人と繋がるためなんじゃないでしょうか


話さなければ繋がらないんじゃないでしょうか


脳と同じく


言葉も使わなければ意味が無い


全ては「使い方」次第だ





結局 僕はこういう性格だから で終わってしまう


だから何も変わらない


すなわち成長しない





うちから去っていったということではなく


そのままで人生を送っていくんだなということが


俺が本気でぶつかってきたからこそ


残念で残念で残念で 仕方ありません