なんとも言えない...
うーん、なんとも言えない虚無感、と言う感想。
あっけなさ、これが人生なのかも。
他人への感心の薄っぺらさ、これが人生なのかも。
考えているようで考えていない、これが人生なのかも。
まわりに流されて生きている、これが人生なのかも。
無知、これが人生なのかも。
裁判官に「お前はほかに何か言うことがあるか」 と問われても、
阿Qはちょっと考えてみたが、別に言う事もないので
「ありません」と答える。
阿Qは不平不満を言うだけの知識が無い。
阿Qにもし正当な答弁をするだけの知識があれば物語は変わるのだろうが、
一方で、
誰か阿Qを理解する周囲の者がいれば、それはそれで物語は変わってくるのだろう。
家も金も女もなく字も書けず無知なくせにプライドだけは高い主人公の阿Q。
阿Qの "精神勝利法" 、これを卑屈な奴隷根性、自己欺瞞、姑息、卑怯、負けを認めずプライド高くて成長に繋がらない、などと悪く言う解説もあるようだが、僕は決してそうは思わない。この精神勝利法、阿Qはあくまでも「負けを(現実を)認めた上で」自尊心というか自分の心を守る(慰める)ために必要な心の使い方をしているのだと思う。
現実を認めているのだからこれは決して欺瞞ではない、現実逃避ではない、プライドを保つって言うよりか、純粋なポジティブ思考と言った方が僕にはしっくりくる。じゃないとやってられないってシーン、みんなも生きてればあることでしょう。
自分の心は自分で守らないとだ。
で、ラストシーンの観衆たちの声。
一人の人生の無力さ、無知の弱さ、ちっぽけさ、儚さ、惨めさ、世間の理不尽さ、どうにもならなさ、虚しさ、報われなさ、所詮他人は他人、差別、といった単語が次々と浮かんできて、「これが現実。あんたたち、そんなんでいいの?」みたいな、著者の魯迅からの問いかけが伝わってきた。
どんな人生でも、一人一人の人生は大変興味深いが決して見せ物ではない。
他人様一人一人の人生に対して尊厳を持ち、理解したい。
そんなことを考えさせられる立派な書物でした。
「後ろはどうなっているか、阿Qには見えなかった。しかし突然感じたのは、こいつはいけねえ、首を斬られるんじゃねえか。 彼はそう思うと心が顚倒して二つの眼が暗くなり、耳朶の中がガーンとした。気絶をしたようでもあったが、しかし全く気を失ったわけではない。ある時は慌てたが、ある時はまたかえって落著いた。彼は考えているうちに、人間の世の中はもともとこんなもんで、時に依ると首を斬られなければならないこともあるかもしれない、と感じたらしかった。」
—『阿Q正伝』魯迅著
https://a.co/3D4O7OX
「「二十年過ぎればこれもまた一つのものだ……」阿Qはゴタゴタの中で、今まで言ったことのないこの言葉を「師匠も無しに」半分ほどひり出した。」
—『阿Q正伝』魯迅著
https://a.co/a63AAfE
「阿Qは口に出して言わないが、その時もう二つの眼が暗くなって、耳朶の中がガアンとして、全身が木端微塵に飛び散ったように覚えた。」
—『阿Q正伝』魯迅著
https://a.co/0KILMg0
短いのであっという間に読了できます。
是非ご一読下さい。