Observe

お金、モノ、人間の心とカラダ、自分自身、etc. 森羅万象を見つめる俯瞰的「観察日記」です。

TRUST

信用を得る ということは難しものだ


宗教の総裁や 実の親や 組織上の親分や 友人など


自分にとって「絶対」という存在が有り 心底信頼している人物や情報機関


それらをひっくるめて「絶対者」という存在が有ると


「A:絶対者」が言っていることと


「B:信用を得ていない者」が言っていることが同じことであっても


「服従者」はBから教えられたことには「信用」をおかず 耳にすら聞き入れないとしても


Aから教えられた「同じこと」に対しては信じる といった現象が起こる


私はどの組織に属していても 自分が尊敬しているいかなる人物からの教えであっても


「その情報の内容の見極め」を心掛けている  偏見を捨てて


絵画だってそうでしょ? ワインだってそうでしょ?


自分が美しいと感じた絵画や 自分が美味しいと感じたワイン


例え名の知れない画家が描いた絵画や チープなワインだったとしても


美しいとか美味しいと感じるのは 自分次第ですから


チープなワインを美味しいと感じたって 何も恥ずかしいことはない


高級なワインを美味しいと感じても 何もかっこいいことはない


全ては「自分が感じる」ということが本質なのですから  要するに「体験」ですね


自分はこうだ という考えの生産


何人も「絶対者」でなく 何人も「服従者」ではない





「絶対者」の言っていることに「正しさ」が欠けていたらどうしますか?


それを鵜呑みにしてしまったら自分も間違った方向に突き進んでしまうことでしょう


「自分の人格」を成立していくにはそういった他人の意見を慎重に精査する必要がある


他人の意見に併せて生きていると 自分の人格は生産されない



とは言え 人間という生き物はそういうところがあるので


自分が正しいと思っていることを他人に伝えたいのならば


「信用」を確保するしかない


だがこの「信用の確保」がとても難しい


なぜ難しいかって? 


それは人間が「心配性」で「偏見」を持つ生き物であるから


詰まる所 その答えに到達する