Observe

お金、モノ、人間の心とカラダ、自分自身、etc. 森羅万象を見つめる俯瞰的「観察日記」です。

いまこの瞬間の自分自身を観察する

さて


ここ最近の僕の心は迷走していますので


もっぱら瞑想に取り組んでいます


別にシャレ言っちゃってるわけではないですよ。。。





昨日に引き続きの瞑想ネタですが


きょうは43分の瞑想に取り組みました





僕がやっている瞑想は


まずはロータスアーサナを組んで座り



ロータス(蓮の葉)のアーサナ(姿勢)ってのは胡坐のことですが 右足首を左太腿の上に乗せながら 左足首も右太腿の上に乗っけて胡坐をかく姿勢です

この姿勢 脛をクロスさせることになるので骨が痛く やったことない人は結構ツライ姿勢です



ロータスの姿勢を取りながら 最初は呼吸の浄化として


腹がヘッコミきるほど口で息を吐き切り


丹田に意識を集中し鼻から吸い込み腹を膨らませる 腹式呼吸ですね


吐くと吸うのリズムを統一し 吐いたら息を止め 吸ったら息を止める


これを繰り返して呼吸を浄化することから始まり


次にサマタ瞑想の一種の慈悲瞑想をおこないます


慈悲瞑想は


僕のテーマでもある「慈」「悲」「喜」「捨」の四護衛禅を唱えるわけです


まずは自分自身が


「慈」 幸せであることを願う 

「悲」 苦悩がないことを願う

「喜」 喜びがあらわれることを願う

「捨」 執着から自由であることを願う



次に 自分の親しい人々が 自分が大切にしている人々が

「慈」 幸せであることを願う 

「悲」 苦悩がないことを願う

「喜」 喜びがあらわれることを願う

「捨」 執着から自由であることを願う



次に 自分が嫌いな人々も

「慈」 幸せであることを願う 

「悲」 苦悩がないことを願う

「喜」 喜びがあらわれることを願う

「捨」 執着から自由であることを願う



次に 自分のことを嫌っている人々も

「慈」 幸せであることを願う 

「悲」 苦悩がないことを願う

「喜」 喜びがあらわれることを願う

「捨」 執着から自由であることを願う



次に

自分の知らない世の中のすべての人々も 人ではなく世の中の生きとし生けるものも全てが

「慈」 幸せであることを願う 

「悲」 苦悩がないことを願う

「喜」 喜びがあらわれることを願う

「捨」 執着から自由であることを願う




これを一通り心の中で唱えたら




次に ヴィパッサナー瞑想に移ります


ヴィパッサナー瞑想仏陀がやっていた瞑想方法です


ヴィパッサナー瞑想は 「気づきの瞑想」や「洞察の瞑想」です


つまり 


「観察する・観る・心の目で見る」「今この瞬間の自分自身をよく観る」


ってことです


「考える」 のではなく ただただ「今の自分を見つめる」だけです




引き続きロータスを組んで座っている状態ですので


手は自然な感じでリラックスして膝の上に置き


人差し指と親指で輪をつくり 残りの指は自然に伸ばします 背筋も伸ばします




呼吸は自然に行い 目は半開きか閉じるかくらいで自然に閉じ 眉間に意識を集中します




この状態をとり




あとは「考える」のではなく 「いまの自分を見つめる」だけです




いま 僕は自分の家でロータスを組んで座っている お尻がヨガマットにくっついている お尻で自分の体重を感じている

いま 僕は息を吸っている 吐いている

いま 僕は目を閉じている 目が開きかけた また目を閉じる

いま 僕は唾を呑み込んでいる

いま 僕は背中がかゆくなった

いま 僕は背筋を伸ばしていたが丸くなってきた そして背筋を伸ばす

いま 僕は足がしびれてきた

いま 僕の心臓が無意識に動いている

いま 僕の体はポカポカ温まってきた

いま 救急車が近づいて遠ざかった


などなど いまこの瞬間の状況を見つめます


見つめていますと


無意識のうちに自然と頭の中にいろいろな「念」が浮かんできます


プライベートのこと 仕事のこと いま悩んでいることや 過去のことや 将来のこと エトセトラ・・・


いろいろな「念」が 次から次へと浮かんできます


ここで気を付けることは


浮かんできたいろいろな「念」に対して 「考えることをやめる」ことです


浮かんできた念に対して考えてしまうと 「いまを見つめる」ことができません


「いま 僕の頭の中に心の中に こういう念が浮かんできた」


という 浮かんできた状態そのものを認識する  つまり見つめるだけです 


この「考えることをやめて 状態を見つめる」は 慣れないとなかなかできません


どうしても 考えてしまうからです


でも 徹底的に考えることをやめます


きょうの瞑想中の僕は


プライベートなことがまず浮かんできたことから始まり

仕事に対する姿勢や反省点

旅行の思い出 旅先の風景 旅先で生じた出来事

行ったことのある海辺の情景 山の情景 自然の情景

ある人の肌触り匂い

いままで関係を持った女性たちのこと

高校生時代の出来事 高校生時代の友達たちの名前と顔

中学生時代の出来事 中学生時代の友達たちの名前と顔

小学生時代の出来事 小学生時代の友達たちの名前と顔

小学生時代に旅行した出来事 夏休みに母親の実家の田舎に行った時にドライブに連れて行ってもらってその車の中で流れていた音楽と車の中からの景色

幼稚園時代のこと 幼稚園時代に初恋したこと

赤ちゃんのときに自分がよだれ垂らして寝っころがってのた打ち回っているときのこと 両親に抱っこしてもらっているときのこと

などなど

いまの僕から赤ちゃん時代に遡りながらの出来事が客観的に何故か次から次へと浮かんできました


普段はこんなこと 瞑想でもしない限り あまり浮かんでくることはありません




ヴィパッサナー瞑想の目的は 「自分が持っている潜在能力を引出す」ことと「心の成長です」




きょうのぼくは無意識に過去に遡ったいろいろなことが浮かんできました


心の中にしまってあって忘れていたことが無意識に浮かんできたってことは 潜在能力を無意識に引き出していることに繋がるので


潜在能力の強化に繋がるのだそうです




それから



僕たちの日常生活のあり方は すぐ評価を下したり 防御や攻撃をしたり 落ち込んだり舞い上がったり 無意識のうちに自動的に反応しています


僕たちは その自動反応に莫大なエネルギーを使い 心はあちこち彷徨って 思考や幻想の中を漂っています



「僕には能力がない」「こうなりたい ああなりたい」というような あえて言うガラクタで満杯な頭を一度整理してシンプルにして 


心の成長に繋げる



希望や期待や願望などのガラクタはひとまず置いて 自由で柔軟な心を養う


僕たちは ちょっとしたことで感動したり 悲しくなったり 暗くなったりしてしまいますが 


このまだ育っていない子供のような心はまだまだ成長するそうです


ヴィパッサナー瞑想をしていると


人からなんと言われようと 誉められようとけなされようと 心の中に感情の波は起こらない


「自分が認めたくないことも含めた あらゆる事実を素直に受け入れる態勢づくり」 


そういう落ち着いた心が出てくる そのようにして心が成長していくそうです


また いまの自分を見つめる ということは 自分自身に気付く ということなので


日々の日常生活においても あらゆることに「気付く力」を養うことにも繋がるのだそうです




とりあえず


きょうも 瞑想を終えた僕は 頭と心と体がスッキリし 「目が覚めて」ます




興味がある人は 騙されたと思って一度くらいはやってみたらいかがでしょうか


そこには いままで見えなかった何かが待っているかもしれません




別に 宗教に勧誘しているわけではありません(笑)


仏教は宗教ではなく 単なる「人間関係構築システム」だと思っていますし


ましてや瞑想やヨガも 宗教ではないと思っています


単なる 心と体の修行です